日々の出来事からの考察。
こんばんは。
最近、教員による教員に対してのいじめについてニュースになりましたね。
子供達にいじめはいけない事だと教える者がいじめをするなんて、という意見が大半のようですが、あなたはこのニュースに対してどのように感じたでしょうか。
子供にいじめはいけない事だと教えるのは、教員だけでなく、私たち大人です。それでは、私たち大人の世界にいじめは存在しないのでしょうか。
実際のところ、大人のいじめはありますよね。そして、家庭内でもしつけと称して子供に対していじめと同じ、もしくはそれ以上のことが行われていたりします。
では、どのようにしたらこのような出来事を少なくしていけるのでしょう。
私は、人を裁かないことを繰り返していくしか道はないと考えています。
世界保健機関、国際労働機関、国際公務員労組連盟などによれば、いじめとは児童に限らず、「自尊心を損なわせ弱体化させることを目的とした、執念深い、冷酷な、あるいは悪意のある企てによる、長期に亘って繰り返される不快な行為」である、とされています。
また文部科学省では、いじめの定義として「一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」としています。
あなたは、相手が苦痛や不快に感じていることをやめることはできますか?
もしそうでないなら、あなたの知らないうちにいじめる側に立っているかもしれません。
それが、あなたから見て正しいと思われる理由だとしても、相手が不快に思うのであれば、いじめになるということです。
教員が教員をいじめをするなんて、と思うことも、実は裁いていることと同じです。そう思うことがいじめる側を強化していくと知っているでしょうか。
いじめる側に何があるのか、何があったのか、それを感じようとする、受け止めていこうとすることで、両者に橋掛かり、結果的にいじめを少なくしていくことができるのです。
私たちの中に、狂気はないと言い切れるでしょうか。相手を裁くことで安心する心理を持っていないでしょうか。
自らの心と対話することでしか、平和は訪れないのだと思います。
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